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丹後探検隊が魅力あふれる丹後の自然にご案内いたします。

 浦島伝説発祥の地、丹後
 


 丹後には日本最古とされる昔話が二つもあります。一つは羽衣伝説、もう一つは浦島伝説です。今回はその浦島伝説を掘り下げてみましょう。

 その日本最古の浦島伝説が伝わるとされるのが、伊根町本庄にある浦島神社です。
浦嶋神社

 浦島太郎と云えば、助けた亀に連れられて竜宮城へ行く話しが一般的ですが、本庄の浦島神社に伝わる話しは、釣り上げた亀が乙姫になって、一緒に竜宮城へ行くことになります。

浦島伝説

 伊根町本庄の浦嶋神社の正式名称は「宇良神社」で、浦島太郎もルーツは「浦嶋子」と云う名前だったのです。
浦嶋子が浦島太郎になったのは、室町時代になって「御伽草子」に記されてから一般民衆に広まったもので、亀が子供にいじめられているのを助けた話しは、明治になり昔話を動物愛護や道徳教育の一環として、話しの内容を変えて教科書に載せたのがはじまりです。特に小学校の唱歌として「昔昔、浦嶋は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ♪」と歌われたのが国民の心に沁みついているのです。

浦嶋神社

 丹後の浦島伝説が日本最古のルーツとされる証拠としては、日本最古の正史「日本書紀」や「丹後国風土記」に記されたものによります。その内容を現代語風に訳すと次のようになります。
浦島太郎雄略天皇の御代、478年7月秋、
丹波国与謝郡筒川に水江の浦嶋子という人がいた。
舟に乗りて釣りをしていると、大きな亀を釣りました。
亀は美しい女性になり、浦嶋子はこの女性を妻とした。
海に漕ぎ出した二人は蓬莱山に至った。
そこは仙人たちが暮らす世界だった・・・。
 この話が元になり現在の「昔話・浦島太郎」になったと考えられます。
ちなみに、丹波国とは古くは丹後・但馬・丹波を含めた大きな勢力を持った国のことです。また、筒川は本庄浜へ注ぐ川の名前でもある様に、浦嶋神社のある伊根町本庄は、古くは筒川と呼ばれていました。

浦島伝説玉手箱

 浦嶋神社に伝わる「浦嶋明神縁起絵巻」と「玉手箱(亀甲紋玉櫛笥)」↑
絵巻には浦嶋神社の御神体山ともされる雲龍山と布引の滝と思われる描画もあります。

 「布引の滝」が流れ落ちる雲龍山からの眺め、中央の森に浦嶋神社があります。↓

伊根町本庄

 雲龍山から流れ出る「布引の滝」は、浦嶋伝承に「帰郷した浦嶋子が玉手箱を開け、立ち上がる白雲がたなびき、この滝になった」とあります。

 その他、浦嶋神社周辺には浦島太郎にまつわる史跡として、神社から筒川沿いに海へと下った場所に「龍穴」と呼ばれる小さな洞窟の様な物があります。

浦島伝説 龍穴

 この龍穴には「竜宮に通ずる穴」「浦嶋子が竜宮より帰郷した穴」「浦嶋子が竜宮より帰郷した時に休憩した場」など、様々な説話が残されています。
昔話の遺物としては「竜宮に通ずる穴」とするのが神秘的ですが、夏季でもこの穴から冷たい風が吹き出て来ることから、古来より地域住民に涼をとる場所として親しまれているようです。

 大太郎嶋神社
大太郎嶋神社
 垂乳根神社とも呼ばれ、浦嶋子の両親を祀る神社


丹後に伝わるもう一つの浦島伝説


 丹後には伊根町本庄の「浦嶋神社」に伝わる浦島伝説の他に、京丹後市網野町の「島児神社」にも浦島伝説が残されています。

島児神社

 島児神社に伝わる浦島太郎の話しは次の通りです。

昔々、この水江の長者に、日下部曽却善治とその妻がおり、その夫婦には子供が無く、子宝に恵まれたく毎日天に祈りました。
夫婦は夢の中で神様より、明朝、福島まで来いとお告げを受けました。
翌朝、夫婦は入り江の先の福島まで行くと、生まれたばかりの赤子が毛布に包まれ置かれていました。
夫婦はこの子に嶋子と名付け大切に育てました。
嶋子は成人になると、釣りが好きで毎日のように浜へ釣りに出かけました。
そんなある日、浜で美しい女性に出会い、一目で恋をしてしまいました。
嶋子は美しい女性(乙姫)に誘われ竜宮城へ行きました。
竜宮城では手厚いもてなしを受け、あっという間に3年余りもの月日が過ぎました。
嶋子は故郷が恋しくなり乙姫に帰りたいと言いました。
乙姫は帰ることを認め、竜宮城へ戻る気があるなら絶対に中を開けてはならないと玉手箱を手渡しました。
嶋子は故郷の浜へ帰りつきましたが、そこで出会う人々は知らない人ばかりで、両親の名を言って尋ねても誰一人知っる人はいませんでした。
浦島太郎住居跡記憶をたよりに我が家へたどり着くと、屋敷跡には雑草が生い茂り一面の荒れ野原となっていました。
わずか3年と思ったのですが、故郷では300年もの月日が流れていたのです。
嶋子は嘆き悲しみ途方にくれました。
嶋子は乙姫からもらった玉手箱を見て、もしかして昔の故郷に戻れるかもしれないと思い玉手箱を開けました。
すると、中から白い煙が立ち昇ると、嶋子の髪はたちまち白くなり、顔にはしわができ、すっかりお爺さんになってしまいました。
あまりもの出来事に驚き、思わず自分の顔のしわを引きちぎり、庭の木のエノキに投げつけました。
そのエノキの樹皮に顔のしわが張り付き、深いしわが残った榎木は「しわエノキ」としてこの地に語り継がれています。

しわエノキ 浦島伝説

 残念ながら上写真のエノキは、平成16年の台風で倒れ、現在はその二世がこの伝承を受け継いでいます。

この「しわエノキ」のあるすぐ近くには、日本海側では最大級の前方後円墳、網野銚子山古墳があります。
 丹後地方には網野銚子山古墳の他、明神山古墳、銚子山古墳の、日本海三大古墳と呼ばれる古墳が集中しており、弥生時代から古墳時代前半に大きな勢力を持った政治勢力、いわにる丹後王国の存在が言われています。

銚子山古墳

 丹後には古墳のほかに日本最古ともされる、たたら製鉄所の遺跡があり、古代日本では最先端の文明を持った人々が暮らしていたと思われます。こうした技術は大陸文明と密接な関係が必要で、砂鉄などの原料の入手をふくめ、頻繁に交易がおこなわれ、人々の行き来があったと思われます。

遠所遺跡

 丹後にはこの浦島伝説を更にさかのぼる昔話に「徐福伝説」もあり、古代丹後は大陸とのつながりが切っても切れない土地です。

新井ア神社

 浦島伝説は、こうした古来より大陸との文明のつながりがあった丹後だからこそ、必然的に出来上がった物語りではないでしょうか。そんな思いで散策すると、丹後の風景が違って見えてきますよ。


 YouTube 動画 日本最古の浦島伝説 神々の詩~縄文海流~姫神
丹後に伝わる浦島伝説



マップ 浦嶋神社へのアクセス



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  その昔、丹後には女神イザナミと男神イザナギがおり、地上と天への上り下りに長いはしごを使っていました。ある日イザナギが昼寝をしている間に倒れて、それが天橋立になったという神話が残っています。
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